①無銘  正宗(重要文化財)
紀伊徳川吉宗が拝領しその後将軍吉宗から若君の疱瘡快癒の祝儀引き出物とされ、その後同様の祝儀に、賜る由緒をもつ。
まさに地鉄は澄んで冴え、地沸や地景が華を添える。
【これが正宗なのだと見て感じてみてくださいB主】


②短刀 無銘 正宗 (名物 小松正宗) 

名物刀剣とは、主に武士の台頭した平安時代から歴史上武将たちの栄誉を物語るものであり、その子孫たちは一門の誇りとともに大切に守り伝えてきたものです。 また近世の軍功の褒賞とすることでその名声は更に高まりました。

江戸時代になり八代将軍吉宗の命により本阿弥家十三代光忠が諸大名の収蔵する名刀を報 告した時の記録であり 「名物」といえばこの『享保名物帳』所載の名刀を指すようにな った。 将軍家に献上したとされる写本には「小松中納言所持故申傳候」とだけ記されているが、 本阿弥家控と考えられる写本に、

『小松中納言利常卿、可為正宗とて御求之由、光甫へ早速御見せ成程其通在候段申上 る。則究に被遣候処延寿国資に究る。油鞘に小堀遠州に書付無銘と斗金粉にて御書置、又 重て被遣、行光に作替る、三度目に右の作に成』 本刀は正宗の中でも異質であり、反りが付き、身幅広めである。地肌は、板目細やかにし て地沸・地景鮮やかにして、刃文小沸冴え、のたれに互の目を交え、金筋 砂流しに、又 本刀は国宝 来国次の短刀と酷似し、本阿弥家で三度の鑑定の末 正宗 に極められたこ とにより、この極めに対する議論が止まないところである。

しかし我が師はこの極めを肯定するも「此れは、歴史的に見ても 正宗よ」と仰ってい る。

案ずるに四女 富姫 が八条宮智忠親王妃となり又利常の正室 珠姫 は後水麻院の中 宮 徳川和子 の妹に当たることで、利常と院は義兄弟関係であった。八条宮別業(桂離 宮)の造営尽力したのを機に京文化の移入にも努め金沢文化を開花させた。

 利常のこの高い美意識より本刀を 正宗 と極められたと考えます。

私も本刀の誠に穏やかな のたれ文と沸と匂いの妙味、並びに品格の高さを見て 正宗 の豊かな独創性に魅了されております。 又小松利常卿(加賀前田家二代藩主)の並々 ならぬ見識に感じいるところであります。 


③無銘  正宗
名物  石田正宗(切込正宗)
刃長 二尺二寸七分(68.8cm) 茎長 六寸五分(19.8cm) 
姿は鎬造り、庵棟、反り高く、中峰、棟に二箇所切り込み痕がある。地紋は板目に杢目交 じりよくつむ。地沸細かにつき地景入る刃紋 小のたれ調に互の目交じり、足入り、沸よ くつき、金筋、洲流しかかる。鋩子は乱れ込み、先尖がりごころに返る。茎は大磨上げ、 先検形、鑢目筋違い、目釘孔一つ。 
『享保名物帳』には、毛利若狭守殿所持なり浮田秀家卿四百貫にて召上られ石田治部少 輔(三成)へ遣はさる治部少、太閤御他界後諸大名に憎まれ、在命難成様子なり。要約致 しますと徳川家康は、石田三成を江州の居城へ蟄居させた、その折結城秀康を援護として 送らせたことへの礼として、この正宗の刀を秀康へ送ったとある。『石田正宗』の銘の由来 は以上のことからである。 しかし何時の頃か棟に二箇所の誉傷が在り『切込正宗とも呼ばれる。』今東京国立博物館に ある。この正宗を手に取って、鑑賞した日時の記憶は定かではないのですが、 それは、同門のお弟子さんが この様な名刀は、実戦に使わなかったのでは無いかと言う 質問をしておりまして、愚生が、誉傷が有ると言うことは相手の打ち込みを棟で受けたと いうことですよと、お答えした記憶がございますのでここに書きました。 正宗の作風の中でも刃縁が締まりごころであるが、『沸の下に匂い敷』小沸冴えて、正宗の 見所を抑えた 本阿弥の鑑定は流石と言えると思います。 本刀は結城秀康を祖とする越前松平家宗家が元禄 11 年作州。津山藩に入部、以後同家に 伝わる 。


重要美術品
小太刀  銘  吉房
鎬造、庵棟、身幅広く、重ね尋常、平肉豊につき、元幅と先幅の開き少なく、磨上ながらも反深めに踏ん張りつき、中鋒の雄渾な姿態を呈す。鍛えは、板目に杢を交えて良く練れ、地沸微塵につき、乱れ映り鮮明に立つ。刃紋は丁子主張の乱れ、袋丁子・蛙子・互の目・小のたれなどを交え賑振しく乱れて変化に富み、飛び焼かかり、刃中足・葉よく入り、匂口明るく冴える。また中程より上の方は焼低く乱れも小模様となら、刃縁に打ちのけかかり湯走りごころ交じる。帽子は、佩表はのたれて丸く返り、さかんに掃きかけて火焔風となり、佩裏に棒樋を掻き通す。茎は磨上げて先端部に二字銘の右半分が残り
先刃上がり栗尻、鑢目浅めの筋違、目釘孔二。
鎌倉時代中期の備前ふくおか一文字派の刀工達は挙って華麗な丁子乱れの作風を展開したが、それらの中にあって吉房は助真・則房と共に特に出来が抜きん出ており、同派を代表する上手である。現存する在銘作は比較的多く、それらに見る銘振りは数種あることがしられ、これらが年代差なのか、複数の同名工が存在したのかは向後の検討がまたれるところである。(古い伝書の中には三代説を述べたものもある)。また同工の作域は、最も多いのが袋丁子を主とした鮮麗な匂勝ちの乱れであるが、他に本作の如く華やかな丁子乱れでも沸主調で刃中に砂流し・金筋等限りない変化を見せたもの・また出入りの少ない小模様の乱れ刃で沸が厚くつき金筋・砂流しなどの刃中ね働きが目立ち、いちみゃく古備前の風をおもわせるもの・締まった直刃に小互の目を交えて逆足入りさながら長船物の静穏な出来口を想わせるものなどあり、思いの外作域の広いことが知られる。
 本作は数少ない吉房の小太刀の作例として注目され、且つ同工の作域を知る上でも資料的に貴重といえる。地刃が健やかで、剛毅さと華麗さの融合された優品である。
刀剣美術 平成十九年九月号
の 名刀鑑賞からの引用です。
2018.5.20  刀剣勉強会を開催、ふくおか一文字 吉房の青さに感動した!