日本刀あれこれ

コメント: 5
  • #5

    細谷政秀 (木曜日, 13 4月 2017 17:21)

    日本刀各展覧会の展示も終わったようなので、少し解説をいたします。
     国吉(粟田口)
    長さ27.6糎 打ち反り 元幅2.5糎 茎長さ9.5糎 茎反りなし

    形状 平造り、三ツ棟、 身幅広め、寸延びて、重ね尋常、内反りつく。
    鍛 小板目肌つみ、処々杢交じり、地沸微塵に厚くつき、地景入り、沸映り立ち、かね冴える。
    刃紋 中直刃調に互の目 小のたれ交じり、足入り、少しく葉交え、沸厚くつき、僅かに砂流しかかり、匂口冴える。
    帽子 浅くのたれ込み、先小丸、表は長めに返る。
    彫物 表裏棟に寄せて刀樋と添樋を掻き流す。
    粟田口国吉は則国の子と伝え、左兵衛尉に任じている。
    粟田口の正系を伝え見逃すことの出来ない名匠である。もと上州城主秋元家伝来の『鳴狐』と号する佐兵衛尉藤原国吉と銘のある重要文化財指定の大平造りの大脇差が有ります。
    本作は国吉の多種多様な姿態の一つに含まれるものである。地鉄は小板目肌に地沸が微塵に厚く付き沸映り立ち、刃文は中直刃調に互の目を交えて、匂を敷き沸が厚くつく匂口の塩相の良さに出色の感有り、加えて地刃共に冴えるなど同工の本領が遺憾なく示された作品となっている。
    また、付帯する鞘書と 徳川実記の記述によれば、徳川家千代誕生の御七夜の祝いの席にて藤堂高睦が献上した一口と伝えられる。
       徳川将軍家伝来

  • #4

    細谷政秀 (金曜日, 11 11月 2016 19:55)

    刀 無銘 正宗
    名物 石田正宗(切込正宗)
    刃長 二尺二寸七分(68.8cm) 茎長 六寸五分(19.8cm)
    姿は鎬造り、庵棟、反り高く、中峰、棟に二箇所切り込み痕がある。地紋は板目に杢目交 じりよくつむ。地沸細かにつき地景入る刃紋 小のたれ調に互の目交じり、足入り、沸よ くつき、金筋、洲流しかかる。鋩子は乱れ込み、先尖がりごころに返る。茎は大磨上げ、 先検形、鑢目筋違い、目釘孔一つ。
    『享保名物帳』には、毛利若狭守殿所持なり浮田秀家卿四百貫にて召上られ石田治部少 輔(三成)へ遣はさる治部少、太閤御他界後諸大名に憎まれ、在命難成様子なり。要約致 しますと徳川家康は、石田三成を江州の居城へ蟄居させた、その折結城秀康を援護として 送らせたことへの礼として、この正宗の刀を秀康へ送ったとある。『石田正宗』の銘の由来 は以上のことからである。 しかし何時の頃か棟に二箇所の誉傷が在り『切込正宗とも呼ばれる。』今東京国立博物館に ある。この正宗を手に取って、鑑賞した日時の記憶は定かではないのですが、 それは、同門のお弟子さんが この様な名刀は、実戦に使わなかったのでは無いかと言う 質問をしておりまして、愚生が、誉傷が有ると言うことは相手の打ち込みを棟で受けたと いうことですよと、お答えした記憶がございますのでここに書きました。 正宗の作風の中でも刃縁が締まりごころであるが、『沸の下に匂い敷』小沸冴えて、正宗の 見所を抑えた 本阿弥の鑑定は流石と言えると思います。 本刀は結城秀康を祖とする越前松平家宗家が元禄 11 年作州。津山藩に入部、以後同家に 伝わる

  • #3

    細谷政秀 (金曜日, 04 11月 2016 18:26)

    短刀 無銘 正宗 (名物 小松正宗) 名物刀剣とは、主に武士の台頭した平安時代から歴史上武将たちの栄誉を物語るものであり、その子孫たちは一門の誇りとともに大切に守り伝えてきたものです。 また近世の軍功の褒賞とすることでその名声は更に高まりました。
    江戸時代になり八代将軍吉宗の命により本阿弥家十三代光忠が諸大名の収蔵する名刀を報 告した時の記録であり 「名物」といえばこの『享保名物帳』所載の名刀を指すようにな った。 将軍家に献上したとされる写本には「小松中納言所持故申傳候」とだけ記されているが、 本阿弥家控と考えられる写本に、
    『小松中納言利常卿、可為正宗とて御求之由、光甫へ早速御見せ成程其通在候段申上 る。則究に被遣候処延寿国資に究る。油鞘に小堀遠州に書付無銘と斗金粉にて御書置、又 重て被遣、行光に作替る、三度目に右の作に成』 本刀は正宗の中でも異質であり、反りが付き、身幅広めである。地肌は、板目細やかにし て地沸・地景鮮やかにして、刃文小沸冴え、のたれに互の目を交え、金筋 砂流しに、又 本刀は国宝 来国次の短刀と酷似し、本阿弥家で三度の鑑定の末 正宗 に極められたこ とにより、この極めに対する議論が止まないところである。
    しかし我が師はこの極めを肯定するも「此れは、歴史的に見ても 正宗よ」と仰ってい る。
    案ずるに四女 富姫 が八条宮智忠親王妃となり又利常の正室 珠姫 は後水麻院の中 宮 徳川和子 の妹に当たることで、利常と院は義兄弟関係であった。八条宮別業(桂離 宮)の造営尽力したのを機に京文化の移入にも努め金沢文化を開花させた。
    利常のこの高い美意識より本刀を 正宗 と極められたと考えます。
    私も本刀の誠に穏やかな のたれ文と沸と匂いの妙味、並びに品格の高さを見て 正宗 の豊かな独創性に魅了されております。 又小松利常卿(加賀前田家二代藩主)の並々 ならぬ見識に感じいるところであります。

  • #2

    細谷政秀 (水曜日, 26 10月 2016 01:33)


    先ずは刀と言えば、『正宗』から話を進めます。
    正宗は、新藤五国光の門で、同門に『則重』がいる。国光は京粟田口派の直刃の作風に沸や地景・金筋の妙味を加味し、正宗はさらにその沸の妙味を強調したのたれの波紋を創造した。「雪のむら消え」という沸と匂いの妙味を見せている
    ①無銘 正宗(重要文化財)
    紀伊徳川吉宗が拝領しその後将軍吉宗から若君の疱瘡快癒の祝儀引き出物とされ、その後同様の祝儀に、賜る由緒をもつ。
    まさに地鉄は澄んで冴え、地沸や地景が華を添える。

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  • #1

    細谷政秀 (月曜日, 10 10月 2016 08:28)


    このHPの中に日本刀の事を書くコーナーを設けて頂いたのを幸いに、拙い知識をお許し願いまして、気長に書き進めて参りたいと思います。
    主に佐野美術館 日本刀初心者講座を受講し拝見した、刀、私の所持致します、刀のお話が中心となります。引用致します文献等は
    『日本刀の教科書』渡邉妙子。住麻紀 共著を底本とし、『解粉記』黒庵著 慶長四年本 『光山押型』『木屋押型』その他です。不定期ですが、宜しくお付き合い下さい。
    細谷拝